キングダムの信のモデルは実在の李信将軍?最後や子孫も徹底調査

キングダムの信のモデルは実在の李信将軍?最後や子孫も徹底調査
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この記事では、漫画「キングダム」の主人公である信のモデルは実在した李信将軍なのか調査し、その最後や子孫について紹介しています。

大人気漫画「キングダム」は、古代中国の春秋戦国時代を舞台にしています。

天下の大将軍を目指す主人公の信が、後に始皇帝となる嬴政(えいせい)と共に活躍していく姿が描かれており、史実を元にしたストーリーです。

登場キャラクターも、実在した人物がモデルになっています。

主人公の信は李信将軍がモデルになっているという噂ですが、それは本当なのでしょうか?

また、李信将軍の最後がどうなるのか、子孫はいるのかどうかも気になりますね!

そこで今回は、漫画「キングダム」の主人公である信のモデルは実在した李信将軍なのか調査し、その子孫や最後はどうなるのかについて紹介していきたいと思います。

 

漫画「キングダム」主人公・信のモデルは実在の李信将軍?

漫画「キングダム」の主人公である信のモデルは、実在した李信将軍です。

公式ガイドブック「キングダム英傑列伝」にも、信のモデルが李信将軍であると明記されています。

さらに漫画「キングダム」1巻の1ページには、信によく似た将軍が周りの兵士から”李将軍”や”李信将軍”と声援を送られているシーンが描かれています。

李信将軍と呼ばれた人物の手には、コミック16巻で信が受け継いだ王騎将軍の矛が握られていました。

まさに李信将軍こそ、信の未来である証ですね!

では李信将軍とは、一体どんな人物なのでしょうか?

 

漫画「キングダム」信の実在モデル李信将軍の経歴を紹介

実をいうと、李信将軍の名は史記で列伝がありません。

李信将軍の活躍を記した歴史的文献は少なく、出生や生い立ちは謎に包まれています。

しかし「王翦列伝」や「始皇本紀」などに名が記されており、簡単な経歴は残っていました!

そこから李信将軍について、分かっている功績を紹介していきましょう!

 

紀元前229年:趙の討伐に出征

李信将軍の名が史実で初めて登場したのは、紀元前229年です。

史記「王翦列伝」によると、王翦将軍が数十万の軍を率いて趙国の討伐に出征した際、李信将軍も一緒だったと記されています。

漫画「キングダム」46巻でも史実に沿って、まったく同じ展開が描かれていますよね!

信は王翦と共に王賁や蒙恬らと、趙討伐に向けて進軍しています。

 

紀元前226年:燕の太子丹を討伐

燕の「太子丹」が、秦王「嬴政」の暗殺を企てます。

暗殺は失敗しますが、激怒した嬴政は、王翦と李信や王賁に燕討伐を命じて燕の都を崩落させました。

燕王喜と太子丹は遼東(りょうとう)へ敗走するのですが、これを追ったのが李信将軍です。

李信将軍は1,000の兵で燕軍を追撃し、太子丹を討伐しました。

 

紀元前225年:楚で兵与・郢を落とすも大敗

嬴政は楚の滅亡に乗り出した際に、李信将軍と蒙恬将軍に20万の兵を預けています。

これをもって李信将軍は兵与・郢を落とし、連勝をおさめました!

しかし奇襲を受けて、秦国の将を7人失って大敗

王翦将軍が60万の兵を率いて、楚を滅亡させました。

 

紀元前222年:燕を滅亡

紀元前226年に滅びかけていた燕ですが、実際に滅亡したのは紀元前222年です。

「王翦列伝」には、李信将軍が王賁将軍と燕を滅亡させたと、記されています。

李信将軍は王賁将軍と遼東を落とし、燕王喜を捕虜にして滅亡させました。

 

紀元前221年:斉を滅亡

中華統一の最後の要であった斉を、李信・王賁・蒙恬で滅ぼします。

燕を南下して斉を攻めた3人の将軍は、斉都の臨淄(りんし)を包囲し、斉王である「王建」を降伏させました。

漫画「キングダム」では王建が、嬴政に降伏するシーンが描かれていましたが、実際には斉国の内部が秦国の工作員で支配されていたため降伏するしかなかったようです。

 

 漫画「キングダム」信の実在モデル李信将軍は最後どうなる?

これまで李信将軍の活躍を紹介してきましたが、最後はどのように迎えたのでしょうか?

調べてみたところ、李信将軍は秦国の天下統一に貢献したのを境にして、史実から姿を消してしまったようです。

史実が残っていないため、李信将軍がどんな最後を迎えたのか、確かなことはわかっていません。

しかし1000年以上も後に書かれた「新唐書」で、李信の家系図が記されていると判明!

さっそく、紹介していきましょう。

 

漫画「キングダム」信の実在モデル李信将軍の子孫を徹底調査!

実は李信の子孫には有名な人物が多く、その功績がのちに唐王朝を建国した李淵(りえん)の代で家系図として記されました。

そこから遡ると李信の遺伝子は、このように受け継がれていることが分かります。

李信 ⇒ 李超 (りちょう) ⇒ 李仲翔(りちゅうしょう) ⇒ 李伯考(りはくこう) ⇒ 李尚(りしょう) ⇒ 李広(りこう) ⇒ 李暠(りこう) ⇒ 李淵

それぞれどんな功績を残し、皇帝まで成る道を辿っていったのか追ってみましょう!

 

李超の功績

李信の息子である李超は、秦国滅亡後に覇王「項羽」に勝利しています。

天下統一を成し遂げた漢の国で、大将軍・漁陽太守になりました。

 

李仲翔の功績

李超の次男である李仲翔は、漢の河東太守・征西将軍となり、反乱を起こした羌を素昌で討伐して戦没しました。

死後、李仲翔は太尉の位を追贈され、隴西郡狄道県東川に葬られたことから、家を隴西郡にかまえています。

 

李伯考の功績

李仲翔の子の李伯考は、漢の隴西河東二郡太守になりました。

 

李尚の功績

李伯考の子の李尚は、漢の成紀県令となり、成紀県に居住しています。

 

李広の功績

李尚の子である李広は、前漢の最盛期を築いた名君「漢の武帝・劉徹」に仕えた名将です。

モンゴルの騎馬民族との戦いで武功を上げ、”飛将軍”と呼ばれました。

しかしモンゴル軍との戦で部隊が道に迷い、戦場にたどり着けなかったことを恥じて自決。

悲劇の名称とも言われている李広ですが、部下から慕われていた結果、ことわざが後世に残りました。

桃季言わざれども下自ずから蹊を成す

モモやスモモの木は口をきかないが、それでも下には人が集まり、道ができるという意味です。

このことわざは、日本の「成蹊大学」や、俳優の「松坂桃李」さんの由来にもなっていることから、現在大きな影響を与えていることが分かりますね!

 

李暠の功績

李広の子孫である李暠は、西暦400年の五胡十六国時代に「西涼」を成立し、王に即位しました。

のちに李暠は、貿易や商業、農業などを奨励し、安定した国造りを成し遂げています。

そして、414年に病気で亡くなりました。

 

李淵の功績

李暠の末裔である李淵は、史上最高の名君と名高い「唐」の初代皇帝です。

隋末(ずいまつ)の混乱の中、太原で挙兵して長安を落とし、唐を建国しました。

李淵の先祖をさかのぼることで、李信に辿りついたわけですが、こうしてみると多くの名将や皇帝の名が残っていますね。

漫画「キングダム」では天下の大将軍を目指している信ですが、史実を追ってみると、それにとどまる器でないみたいです!

現在の日本にまで影響するほど、大物人物だったとは、とっても驚きました!

 

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漫画「キングダム」信のモデルは実在の李信将軍?最後や子孫も徹底調査まとめ

今回は、漫画「キングダム」の主人公である信のモデルは実在した李信将軍なのか調査し、その最後や子孫について紹介してみましたがいかがでしたか?

漫画「キングダム」の主人公である信のモデルは、実在した李信将軍であると公式で明記されています。

しかし歴史的文献が少ないため、その人物像は多くの謎に包まれていました!

李信将軍がどのような最後を迎えたのか分かっていませんが、「唐」の初代皇帝李淵の家系図を辿ることで、子孫が判明しましたね!

有名人物が多く、現在にも影響を与えるほど、李信将軍の爪痕が残っているのは驚きです!

漫画「キングダム」では、秦国が中華統一を成し遂げるまでしか描かれないとは思いますが、歴史は今も続いているのだと改めて実感できますね!